子供の宿題を横から覗くと、クリエイティブ(?)な間違いをよく目にします。今日も、「肉をたべる」のところを「内をたべる」と書いてました。かわいい。
「いいやん、面白いやん〜」って思ったので、一応、間違いを教えた上で「そのまま学校に持っていけば?」と目を輝かせながら勧めたのですが、ちゃんと直して持っていきたいとのこと。「肉」と書き直していました。小学2年生で、まだ先生が怖いところがあるみたい。いつも宿題を丁寧にやっていきます。
僕はどちらかと言うとクリエイティブ寄りの仕事をしているので、誰でも思いつくアイデアを出してしまうことに抵抗がある。だから、「肉をたべる」という問題に対して「肉を食べる」と、ストレートな答え書いてしまうことにはなんとなく拒否感が。いや、宿題だからそれが正しいんでしょうけど・・。
教科書的なアイデアを出す大人をたくさん見てきているので、発想が縛られない子供たちのアイデアには本当に感動します。というか、羨ましい。だから、正しい答えのある宿題をしながらも、その正しさに縛られない感覚を持ち続けてもらえたら嬉しいですね。
※ただ、授業参観に何回か行ったのですが、一つの問題の解き方をクラスのみんなでディスカッションしながら考えていく、いわゆるアクティブラーニング的な授業をしていました。効率の良い発想の子もいれば的外れな発想の子もいるけれど、それが全部、子供たちの学びになる。なので、上記の「教科書的なアイデア」という言い方は現在の学校に対してちょっと失礼だったかもしれません。
また、そんな訳で、宿題から少しズレた点に興味を持ち始めた時は、逆に背中を押します。この前も、無限ってどのくらい大きい数字?と聞いてきたので、「お父さんには、無限という数字が逃げていくという感覚があるよ」というお話をしてみました。
無限が世界で一番大きな数(X)だったとします。でも、それに1を足すと、その1を足した数(X+1)のほうが大きい。そうと考えると、もともとの無限(X)が世界で一番大きな数だと考えたのが変なのかも。無限ってこんな数かなぁと想像しても、それよりも大きいのがまた無限になっちゃう。どれだけ考えても無限って逃げていくね。そんなことを話し合いました。
まとめると、教育って収束と発散のバランスかと思います。子育てダイアグラムで言えば、教科書の暗記は、狭い意味での<経験値>を貯める行為。ただし、膨大な暗記の試練を耐えると、それらの経験値を貯めるキャパシティを広げる行為でもある。同時に<体力・気力>も養われるかも。一方で、そこから外れた時に<創造>の力が高まっていく。経験値を貯めるという収束と、創造という発散。親としてはそのバランスを見ながら、子供と関わっていければと思いました。
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