未来の仕事と子育て by しぃたけ

しぃたけ🍄が、未来の仕事と子育てを考えます!

パーカーを纏った闇【短編小説】


25歳の隼人(はやと)は、走っていると、時々、おかしな感覚になることがある。

特にその日は、その感覚が最も悪い方向に振れた日だった。


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土曜の昼食前、左手のウェアラブルウォッチでタイミングを測りながら、隼人はいつもの5kmのコースを走っていた。前半は少し飛ばして、後半はリラックスしながらペースを落として流すのが彼のスタイルだ。

4kmほどの地点、つまりもう少し走れば家に着くという地点で、同じくランニングをしている女性を目にした。妻の友紀(ゆき)に似た後ろ姿、隼人の好みのスタイルだ。その女性は、ピンクの派手めなパーカーを着ていて、フードを被っていた。

よし、どんな女性か顔だけでも拝んでみようと少しペースをあげて女性を通り越し、信号で待っているフリをしながら少し振り返り、近づくその女性にチラリと目をやった。

しかし、彼が目にしたものは衝撃的な光景であった。パーカーの中に顔があるのではなく、そこにはただ真っ黒な闇、深淵があるだけであった。首より下は美しい女性の姿であるが、そのパーカーの中にあるべき顔がなく、ただ漆黒の空間が広がっているだけだった。


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実際は、ほんの一瞬しか見ていない。しかし、見てはいけない何かを見てしまったと感じ、戦慄した気持ちを心に抱えながら隼人はランニングを再開した。

あれは一体何だったのだろう。カンマ数秒しか見てはいないが、そこに顔がないことは明らかだった。正常な意識を失わないようにするのもやっとの思いで、隼人は次の信号まで行き着いた。

しかし、少しの刹那の後、背後に気配を感じた。漆黒の闇の気配を。

まさか、追いかけられている訳はないよな?隼人は自問し、直感的にコースを変えた。こちらのコースは、普通、ランナーは使わないコースだ。もし自分を追いかけているのならば、ここで分かるだろう。

嫌な予感が当たり、ピンクのパーカーを纏った深淵の闇は、ゆっくりとこちらへと歩みを進めていた。

この闇に、自分と妻の住む家を知られてはいけない。そう思った隼人は、いくつか道を曲がり大通りへと再び出て、そして、バスに飛び乗った。

発車するバスの椅子に座る直前、隼人は車窓から外を確認したが、ピンクのパーカーはこちらの方向に姿勢を向けてはいるものの、その歩みは止まっていた。とりあえず、この場は凌げた。隼人は少しだけ胸を撫で下ろした。

都市部であるため、バスは色々な区画を通り抜けながら、非効率な経路で最終目的地へと進む。その経路のおかげで、バスは隼人の家に何回か近づく。いちばんマイナーな道を歩いて帰れるバス停でバスから降りた隼人は、周囲を確認しながら、足早に家へと急いだ。

お昼時ということもあり、彼が住んでいるアパートも人の出入りが活発だった。何人かの知り合いに挨拶を交わしながら、自宅へと急ぐ。妻の友紀は一緒にランチを食べに行くための準備をしているはずだ。彼女の顔を見てまずは安心したい。

扉を開け、ただいまと言いながら靴を脱ごうとした時、隼人は目にしてしまった。玄関の廊下にピンクのパーカーをまとった人物が立ち、こちらを伺っている姿を。ウッと隼人は息を詰まらせ、意識を失った。そして、そのピンクのパーカーは、気を失った隼人のほうへ近づいていった。


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病院で、隼人の妻の友紀が、義理の母の良子の話に耳を傾けている。

「友紀さん、本当にごめんなさいね。隼人はね、えっと、そう、五歳の時に怖い体験をしたの。幼稚園の友達とかけっこして遊んでいる時に無表情の女性に急に声をかけられて、ナイフで切りつけられたの。不幸中の幸いだけど太ももを数針縫っただけで済んで、その女性は他の大人たちに取り押さえられたのだけど、あれからしばらくは、隼人はすごくビクビクしながら生活していたんだよ。」

良子は後悔の表情を見せながら、友紀に過去の事件について話をした。おそらく、お義母さんも、他のママ友とお話をしながら子供を遊ばせていたんだろう。でも、これは防ぎようがない事故だったんだろうな、と友紀も想像を膨らませる。

「お義母さん、その無表情の女性って、どのような人だったのですか?」

「うん、当時住んでいたマンションの近くに住む女性で、人工知能を持つロボットと暮らしていたんだけど、パートナーとしてはやっぱり生身の人間が良かったみたいで。気がおかしくなっちゃったみたい。そうそう、今日の友紀さんみたいな、ピンクのパーカーを着ていたのよ。」

友紀は全てに合点がいった。自分もすこし走ってみようと隼人の後に家を出て、短いコースで走った今日のお昼時。たまたま隼人に追い抜かれたので、一緒に走ろうと信号待ちの隼人に近づいたら、隼人が顔面蒼白になった理由。彼が急にコースを変え、そして、バスに飛び乗った理由。家で自分を見て失神した理由。そう。このピンクのパーカーが、彼にあの女性を思い出させたんだ。

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しばらくして、隼人は目を覚ました。ベッドから少し離れた椅子に座りながら、自分の母親と妻の友紀がおしゃべりをしている。友紀が着ているのはピンクのパーカー。そう、私に過去を思い出させたのは、このピンクのパーカーだったんだ。

隼人も夢の中でこの状況を見つめ直していた。ピンクのパーカーには何の罪もないけれど、そこからフラッシュバックして蘇った恐怖が自分をおかしくしてしまっていただけなんだ。ピンクのパーカーを着た友紀は私の大好きな友紀だ。そう考えると、少しだけ、過去の恐怖体験の傷が和らいでいくような気がした。

二人には心配をかけてしまったな。隼人はそう思い、おしゃべりに夢中になっている母と妻に「目を覚ましたよ」と声をかけた。

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